あれはまだ、大手の監査法人を退職してから、独立に向け小さな税理士事務所で経験を積んでいた頃の話だ。
そう、寒い冬の季節だった――。
クライアント先へ訪問し、月次決算のために資料をもらう。
資料をもらい社長とお茶を飲みつつ小一時間雑談。
事務所に帰って試算表を作成。
前任者からはそんな簡単な引き継ぎだけを受けた。
社員は20人程度の小さな会社。
「ただ、社長がちょっと変わってる人でね」と、前任者は付け加えた。
振り返って今でも想う。
あんな社長のもとで働けたらどれだけ幸せだろうかと。
だが今はもう会社は、無い。
初めての訪問は2月の寒い日だったと記憶している。資料をもらいに行くと穏やかそうな30代半ばの女性が対応をしてくれた。
「お待たせして申し訳ございません。社長はすぐに参りますので」
温かいコーヒーを出してくれた。
「いえ、お構いなく」と笑顔で応えるが、悴んだ体には嬉しかった。
コーヒーを飲みつつ、社長を待った。
10分ほどだろうか、部屋の内装を眺めながらホッと一息ついていると。
「いやぁ、すんまへん」
ポマードでしっかり固めたオールバックに、ド派手なスーツ。
どこからどう見てもその道の人にしか見えない。
名刺交換をして社長が一言、「ささき君、わいヤクザやないで」とにっこり。
初対面で「君」付けするあたり、さすがナニワのおっちゃん。
気さくな感じに悪い気はしない。
一見こわもて風貌のこの社長。
その実、口調や表情は穏やかな人だった。
その風貌にも理由があったのだ。それは後々分かった。
社長は饒舌な人だった。
自身の今までの人生と、娘さんお孫さんの話。
仕事の話では私のことを「先生」と呼んでくれるが、プライベートの話では「ささき君」に戻る。
そして話のほとんどは後者が占めた。
「ささき君、人生なんてあっという間だよ」
なにか達観した様子でいつも語っていた。
社長の人生論の前では、会計の先生のはずの自分も生徒に戻ってしまう。
背筋をピンと伸ばし、学生時代を思い出す。そんな時間がなにか好きだった。
何度目かの訪問のとき、社長はめずらしく真剣な面持ちで跡継ぎの話をした。
会社を継ぐ者がいまだ決まらないという。
借り入れなどの難しい問題も絡み、後継者が見つからないのだ。
社長は会社のこれからを心配していた。
実は末期の癌だった。
余命1年と医者に宣告され、社長はそれから1年3か月を生きていた。
「この通り、体もピンピンしとるんですよ。このまま、癌も無くなってしまうんじゃないですかね。いや、最悪のことはいつも考えておりますよ。私が明日死んだらここの社員はどうなってしまうんでしょうかねって」
一代でここを築いた社長は会社のこと、そして社員のことを愛していた。家族のように愛していた。
だからこそ、自分がいなくなった後のこれからをとても心配していた。
ポマードでしっかり固めたオールバックを崩さないのも、ド派手なスーツに身を包むのも、癌でやつれていく自分の姿で社員に心配をかけないための心遣いからのものだった。
自身は抗がん剤治療で苦しんでいるにも関わらず、そんな細かいところまで他人に気を遣う姿勢、あの社長にしか出来ないことだ。
訪問のたびにやつれていく社長。
それでも社長はいつも会社の玄関まで送ってくれた。
その日も挨拶をして、玄関を出てから100メートルほど歩いても、振り返るとずっと頭を下げていてくれた。
とても丁寧に対応をしてくれる人だった。
仁義深い、心の広い人だった。
数週間後、社長が亡くなった。
目の前にいたはずの人が亡くなってしまった。
娘さんお孫さんに看取られ最期を遂げたそうだ。
ただ、ずっと会社のことを口にしていたという。
あの笑顔、気遣い、ユーモア。
もう存在しない。
人が死ぬとはどういうことなのだろうか。
当たり前だが、「もういない」ということは事実だ。
突然の訃報には驚いたと共に、なぜか安心した。
やつれた体でもう気丈に振る舞わなくてもいい。
抗がん剤治療に苦しまなくてもいい。
ただ、あの笑顔にもう会えないことだけが、寂しい。
会社は吸収合併されることが決まり、社長の愛した社員の雇用は維持された。
社長の意志はこれからも社員達の中で生き続ける。
天国で社長もホッと一息しているだろうか。
コーヒーでも飲みながら――。
振り返って今でも想う。
あんな社長のもとで働けたらどれだけ幸せだろうかと。
だが今はもうあの会社は、無い。